実はMYV Video Music Award Japanの疲れで途中で寝てしまったのだが、
太田光の語り口は、いつも爽快だ。
やはり大田光はただものではない。
読みが違うとはいえ
同じ名前だと興味を感じる。
田中のツッコミがなお、太田を暴走(!?)させる。
(最近俺、暴走していないなぁ・・・)
関連サイト、例えば、これ。
(検索より。実はNHKのサイト内にもあまり情報がない・・・)
先生たちは「学問に守られてる」と爆笑問題・太田はいう。
漫才は、お客さんや一般の人の目線で語る必要があるから、
言葉のわかりやすさやテンポの良さが必要だ。
また、芸人は「所詮芸人だから」というところがある一方で、
学者の先生が同じことを言うと「ハハァ」みたいな
水戸黄門の印籠みたいなところがあるという。
それがいわゆる象牙の塔
「閉じた感覚」を醸し出しているのではないかというのだ。
きっと、自分で言えないことを芸人という立場で言ってくれることに
爆笑問題から感じる爽快感を得るのかもしれない。
一方で東大のある先生は、
「学問だと、クリティカルシンキングの速度が違うし、
考えて考えた上で発言する」ようなことを言っていた。
なんだか自分のことを言われているような気がしてならない。
そんな大田氏の口から「西田幾太郎」の名が出たりして、私はうだつが上がらず。
(名前だけしか知らないが。どんなことをいった人か知らなかったからちょっと記念館のWebを)
人は人 吾は吾なり
とにかくに
吾が行く道を 吾は行くなり
あぁ、この人だったのね。
でも、一番僕の心に残っているのは、
「芸人」だからとか「学者」だからではなくって、太田がいっていた下記の内容。
ー何かを語りたくなる。
気がついたことを語りたくて仕方がない。
だから、語る。それは漫才師だろうとなんだろうと関係ない。
伝えたいことがあるから時間をかけてでも伝えようとする。
そのために制作をする。
それは僕にとって、例えば学校の課題であったりする。
一方で、〆切という狭間で悩まされている。
でも、本当は自分の作りたいものは、
仕事で任せられるもの以上にハードルが高いと佐藤可士和氏は言っていた。
ファインアートの場合は〆切にとらわれず、
やっていると履き違いしていたが大間違いだ。展覧会出展には〆切がある。
そんなことを考えずにやっていては趣味であり、
その活動は自慰に過ぎないと気がつく。
そろそろ、出してもいいんじゃないの?。課題、と自分にツッコミ。
でもこの番組を見て気が付いた。
何がわかったかというと、自分の「伝えたいこと」。
意外と自分は無知なのだ。
だから、それを吸収するために、いろんな情報源から情報を収集する。
それをすべてではないにしても、そのプロセスを完成物に込めようとしている。
知っている人にとってみれば3行で済むかもしれない文章だけど、
自分の理解をリフレクション・再確認・内省するために、
文章や図表に込めている節があったことに気がついたのだ。
*********追記********
そして、昨日見た、情熱大陸「小西真奈美」編を見て、
またしても気が付いたことが。
取材ディレクターと本人とが、お茶したり、じゃんけんしたり(!?)、
そんな中で、彼女から発せられた言葉から。
でも・・・これはまだ自分の言葉にこなれて落ちてきません。
でも、それとは別に、この引用はしておきたい。
(http://mbs.jp/jounetsu/archives/2006/05_28.html)より
ーときに凛として強く、ときに無防備にあどけなく。しかし、彼女を3万カット以上撮り続けたカメラマン・丸谷嘉長は言う。「まだ足りない。まだ核をつかめない」。
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